◆海南 春日神社 | (かいなん かすがじんじゃ) |
鎮座地 |
海南市大野中1056 |
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電 話 |
073-483-7547 |
交 通 |
紀勢線海南駅から野上電鉄春日前下車400メートル |
【御祭神】 | 天押帯日子命 |
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【由 緒】 | 春日の朝臣彦国葦命がこの大野に在住して祖先である天押帯日子命(第5代孝昭天皇の皇子)を祀り、春日神社と称したと伝えられる。 聖武天皇から代々の勅願神社であり、桓武天皇延暦21年(802)には正一位春日大神の称号を賜るとともに、9町6反の御寄進もあったが、これは豊臣公の時に没収された。 元弘2年(1332)大塔宮護良親王が熊野へおしのびの途中当春日神社にお籠りになった。神主三上美作ら、大野村の頭の者たちが警護のため親王を神殿にお隠し申し上げるということがあり、今に至るも神殿の三つの扉の―つは空間である。あとの二つは御鎮座当時の古い巻物や証文、神宝等を収めていたが、明徳2年(1391)大野城主山名大内の戦乱の時紛失、その後天正5年(1577)の大野乱に当って古記録類を高野山花王院に預けたところ、その高野山の火災でまたも焼亡、灰燼に帰した。 当社は天正13年(1585)元春日という神林から現在の三上山に移転したので、この山を春日山と称するようになったが、正保4年(1647)三浦長門守、水野淡路守より殺生禁制の定めが出され、明治32年本県から改めて同様禁制地とされた。 また寛保年間から天正年間までは渡御、流鏑馬等の行事が盛大に行われていたのが天正の乱以後永らく杜絶、明治維新より再興され、下の宮栗田神社へ渡御し、本社境内で流鏑馬、競馬等例式を催してきた。大正5年11月、郷社に列せられた。 以上は累代18世社司、三上樹草の記録によるものである。 |
【例祭日】 | 10月10日 |
【祭祀】 | 祈年祭=2月11日/大祓祭=6月30日/夏祭=7月9日/除夜祭=12月31日 |